社会の中の【仏教用語】他④内緒話と内証話

社会の中の【仏教用語】他

 一般的に秘密、あるいは内々の事ととして、こっそりと他に内容を知らせることを示し、内緒話、または内所話と記されますが、仏教では【内証話】の文字を用います。
 仏の教えを端的に示す文言の一つに、「自内証の法門(じないしょうのほうもん)」があります。
 自らの内側、即ち本質を自己証明する教えである、という意味でしょう。禅宗ではこれを同義として「本来の面目(ほんらいのめんもく)」とも謂い、人が人に成るを悟り、あるいは仏とする禅宗の究竟的表現でもあります。
 子育て中の現場、あるいは幼少からの教育の場での教えは、どうしても理想論に傾きがちになります。それは若い世代に夢や希望を抱いてほしいという先人たちの願いでもあります。
 しかし社会に出て仕事をはじめた途端、否応なしに現実論を押し付けられることとなります。この違い、狭間の大小が国家としてのの指標、特徴の一つとも言えましょう。
 幼少より指導された教えと、現実社会での価値観が乖離するほど、その国に生きる人々の幸福感は減少する傾向にあるとも言えます。
 それらも踏まえながら仏教では他人の目でなく、まず己自身が、自己の内面からして証明、認められる考え方や生活を心がけなければ、と示します。
 どんなに理想が高くとも、己が不幸にみまわれ自信喪失している者に、他の援助を率先する余裕は生じません。人間は互いに尊い存在であると同時に、もろく弱い存在でもあります。
 だからこと、まず己が己をはずかしめたり、自信喪失するような生活や行いを避け、自負心とゆとりを保ってこそ、他者を思いやる余裕も出てくるというものです。
 互いが「自内証」を意識し、自負心を保ちながら他者に目を向けられるゆとりのある社会であるならば、その国の幸福感は増していくのでは、と思われます。
インドから中国に【禅】を伝えられた菩提達磨大師(ぼだいだるまだいし)。