社会の中の【仏教用語】他⑩辨道(べんどう)

社会の中の【仏教用語】他

 近年は特に幼少期から青年期にかけて、学問し学ぶことを一律的に「勉強」と称する向きもあるが、古来仏教、特に禅宗の系統では「辨道(べんどう)」の文字を好んで用いた。
 辨はそもそも刀物を中心とした文字で、分ける、分別、区別の意味があり、また辯というばあいには、中心に言を置いて分別した道理を、言葉で詳らかにする意味を持つ。
 日本人の古来からの伝統として、学ぶべき嗜みは全て古式古道に通ずるものとして、学び事全てを極めるべき「道」として表した。
 前回にも記した通り「寺子屋」が学問所であった頃には、まさに「辨道」であった。「勉強」は文字通り勉(つと)め強(し)いるの意味で、江戸時代には、無理にでも努力して励み、結果を出すことをその内容とし、転じて気が進まぬとも仕方なしにする、という意味で、主に商い等にて値引きすることに用いられた。
 さて曹洞宗の永平寺を開いた道元禅師の著書『正法眼蔵』の中には「辨道話(べんどうわ)」なる巻がある。後代になり眼蔵家でもある西有穆山禅師は「辨道」を「成辯道業(じょうべんどうごう)」と釈した。成辯は「成就辯白(じょうじゅべんぱく)」、道業はまさに仏道の業(はたらき)である。
 辨道話では、修行と悟りの関係性について「修證一等」または、「證上の修」等と述べている。一切を仏證上の働きであり、また道とするならば、そのことを認得、詳らかにして究め、更に極め尽くすことが一大眼目ともいえる。
 成就辯白は、正に白日の下にはっきりと、詳らかにさせることでもある。
 将軍綱吉公の学問相手も勤め、柳沢吉保に仕えた儒者であり、古文辞(こぶんじ)学派の祖でもある荻生徂徠は二弁といわれる「弁道」、「弁名」等を記して己が文献学的見識を正統としている。後に,赤穂浪士処断の際には、法にのっとり厳罰に処すべきと献言したことは有名でもある。
 ちなみにこの時、同じく柳沢吉保に仕えながら赤穂の堀部安兵衛と親交の深かった細井光沢は、討ち入り口述書の添削、また『堀部安兵衛日記』の編纂を託され助命嘆願もしている。
 この細井光沢も、当正安寺16世大梅法撰の処世の弟子である。
 正安寺の山風や現住職の気質は、元来「来るは拒まず、去るはおはず」を基調としているが、近年はあまりに誤った宗教観が横行し、その教えに傾いた者ほど声高に喧伝し、未だ本物の出会いを経験していない若者をも平気で勧誘するので、社会の不安定化や剣呑とした状勢が目に余るため、たとえ僅かでも本物志向の教えに触れていただきたいとの思いで、このような活動をしております。
12月9日付産経新聞
社会面にて掲載
正安寺の試みを記事として掲載