『正法眼蔵』「現成公案」巻の考察⑨ 11段目

仏の教え

第十一段
本文
人の、悟をうる、水に月のやどるがごとし、月ぬれず、水やぶれず。ひろくおほきなる光にてあれど、尺寸の水にやどり、全月も彌天も、くさの露にもやどり、一滴の水にもやどる。悟の、ひとをやぶらざること、月の、水をうがたざるがごとし。人の、悟を罣礙せざること、滴露の、天月を罣礙せざるがごとし。ふかきことは、たかき分量なるべし。時節の長短は、大水小水を撿點し、天月の廣狭を辨取すべし。

語注
・尺......①長さの単位。一尺は十寸。周代の一尺は、大尺で二二・五センチメートル。小尺(咫)で一八センチメートル。のち、日本では約三〇・三センチメートル。
    ②ものさし。「刀尺」「巻尺」
    ③わずかであるさま。「尺地モ莫(な)シレ非ザルハ二其ノ有ニ一也」[孟子・公上]
    ④手紙のこと。
    ⑤姓の一つ。
    [学研 漢字源 改定第五版]
・尺寸(せきすん)...①一尺か一寸の意。量・功績・面積・長さ・距離などの小さく少ないもののたとえ。
    ②法度。
    ③寸法。尺度。
    [学研 漢字源 改定第五版]
・全......①まったく。ぜんぶ。すっかり。「頭全ク白シ」
    ②まったし。欠けたところがない状態。また、欠け目がない。「完全」
    ③まっとうする。欠けることなく保つ。「全性」
    ④すべてをひとまとめにしたさま。「全部」
    ⑤姓の一つ。
    [学研 漢字源 改定第五版]
・月  ①つき。まるくえぐったように欠けるつき。太陰。
    ②つき。一か月。つきは二十九日あまりで満ち欠けするので、陰暦では二十九日三十日を一か月とし、十二か月約三百五十四日で一年とし、十九年間に七回の閏月を置いた。太陽暦では、三百六十五日を十二か月に分け、三十日(二月は二十八日または二十九日。小のつき)または三十一日(大のつき)で一か月とする。「歳月」
    ③つきごとに。毎つき。
    ④毎月ある、女性の月経。つきのもの。
    ⑤姓の一つ。
    ⑥げつ。七曜の一つ。月曜日の略。
    [学研 漢字源 改定第五版]
・弥天...空全体。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四上〉
・罣礙 ①覆うもの。覆いさまたげるもの。心を覆うもの。こだわり。〈『般若心経』大 八巻八四八下〉他
    ②邪魔すること。前後上下左右ともにふさがって進退できないこと。滞り。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四中〉他
・分  ①微小な一部分。〈『金剛経』一六〉
    ②支分の意。因明の三支作法の一つの支をいう。〈『正理門論』〉
    ③「一一分」は、十二因縁の一つ一つの支をいう。〈『中論釈』大 三〇巻一八上〉
    ④部分。
    ⑤「ぶんに」。一部分が。〈『四教儀註』下本二八〉
    ⑥方面。「約二遍計分一」遍計の方面からみていうと。〈『五教章』中 一ノ二一オ〉
    ⑦決定。〈『人本欲生経』〉
・量  ①はかる。考える。〈『四教儀註』上本三四〉
    ②分量。ほど。かぎり。ながさ。〈『五教章』上 一ノ三六ウ〉
    ③敷地の広さ。〈『五分戒本』大 二二巻一五九中〉
    ④身体の大きさ。たけ。〈『要集』四〇六〉
    ⑤認識方法。認識手段。認識根拠。知識根拠。知識の成立する根拠。〈『瑜伽論』一六巻大 三〇巻六四中〉他
    ⑥教えの典拠。
    ⑦標準。証権。
    ⑧論証。教証に対する理証。
    ⑨真言密教でいう三十二種の脈管の一つ。〈『大悲空智経』序品 大 一八巻五八八上〉
    ⑩...だけ。
    ⑪有限。限られていること。〈『金七十論』一五頌 大 五四巻一二四八下〉
    ⑫ヴァイシェーシカ哲学において、性質(徳)の第六。「微体・大体・長体・円体等を名づく」とある。〈『十句義論』大 五四巻一二六三上〉他
    ⑬受け入れるよりどころ。〈『荘厳経論』〉
・検点...修行僧の修養がどの程度かを吟味すること。〈『無門関』四〇則〉
・天......①天界。天の世界。〈『中阿含経』三巻 大 一巻四四〇上〉他
    ②天上の。〈『法華経』一巻 大 九巻四下〉
    ③インド人の考えた神々。天は、シナ的表現で、神々は多く天上に住むとされるが、空中・地中に住む神もある。
    ④天の神。天界の神。〈『仏所行讃』一巻 大 四巻一中〉他
    ⑤真言密教でいう三十二種の脈管の一つ。〈『大悲空智経』序品 大 十八巻五八八上〉
    ⑥超人的な力があると信じられている鬼。諸天界にある天人。〈『正法眼蔵』四摂法 大 八二巻一七五中〉
    ⑦自然の理法。他方ではそれに神としての宗教的意義をもたせた。
    ⑧天帝。万有の支配者。〈『万民徳用』〉他

 解説:初期の仏教教団では、教えの中心はニルヴァーナに達することであったが、在家の信者に対しては主として「生天」の教えが説かれた。道徳的に善い生活をしたら天に生まれるという教えである。施論・戒論・生天論の三つは在家信者に対する教えの三本の柱であった。この天の原語はいろいろあるが、いずれも単数形でのみ用いられている。すなわち、天は一つであって、天の細やかな内容規定や、階層的区別はなかったのである。だれでも能力に応じて布施を行ない、道徳的に善であれば、死後に天におもむくとされたのである。この天の思想は、仏教独自のものではなく、当時のインドの一般民衆の信仰であって、仏教はそれを教義の中にとり入れたのである。ただ、仏教では、この世界に対してどこかに空間的に存在する天を考えたのではなく、あくまで、絶対の境地を天ということばを借りて表わしたのであるが、一般民衆は俗信のとおり、死後の理想郷に行かれると信じていたのであろう。後にこの天は種々の位階に分かたれるようになった。凡夫が生死往来する世界を欲界(性欲・食欲をもつ生きものの世界)、色界(欲界の上にあって、性欲・食欲を離れた生きものの絶妙なる世界)、無色界(物質的なものがすべてなく、心識のみある生きものの世界)の三界に分けるが、この三界にそれぞれ天があると考え、欲界六天・色界十八天・無色界四天、合わせて二十八天を立てるようになった。この欲界六天の第二が有名な忉利天(とうりてん)(三十三天)で、世界の中心、スメール山(須弥山)の頂上にあり、帝釈王の天宮がある。頂の四方に峰があり、峰ごとに八天あるので三十三天となるのである。後世の大乗仏教における浄土の信仰は、この天の思想の発達した形である。浄土もまた、絶対の境地を表現したものであり、彼岸とは完成を意味することばであったが、天の場合と同じく、一般民衆には、死後の理想郷と受け取られたのである。

・辨......①成弁。成立させる。〈『五教章』中 三ノ八オ〉他
    ②区別する。〈『上宮勝鬘疏』大 五六巻八中〉
    ④わきまえること。〈『三論玄義』七九〉他
    ⑤辦に同じ。成弁の意。ととのえる。〈『五教章』下一ノ三ウ〉
・辦......①なし遂げる。〈『有部律破僧事』六巻 大 二四巻一三〇上〉
    ②「べんず」。説明する。〈『四教儀註』中本 二二〉
・取......①取ること。〈『百五十三』二四頌〉
    ②感覚機官によって知覚すること。「不能取」〈『金七十論』大 五四巻一二四六中〉
    ③理解すること。〈『五教章』下 一ノ六オ〉
    ④執着。執着し、欲求してやまない心のはたらき。→四取〈『倶舎論』二〇巻一五・一六〉他
    ⑤煩悩の異名の一つ。〈『倶舎論』一巻五ウ〉他
    ⑥十二因縁の第九支。執着。〈『弥勒成仏経』大 一四巻四三一中〉他
    ⑦「...を」というほどの意。西洋の諸言語における対格を示す。「取二万善一合為二一因一」(万善を一因となす。)〈『上宮法華疏』大 五六巻六四下〉
    ⑧進行を示す。
    ⑨助詞を付して用いられる場合は、強意のための助字としてはたらく。獲得または動作が確実に行なわれることを示す。この場合、「取る」という意味は薄く、強意のための助字としてはたらく。たとえば会取・管取・道取・聞取。

現代語訳
 人が、さとりを得るということは、水に月が宿るようなものである。(月が水に宿ったからといって)月がぬれることはなく、(水に月が宿ったからといって)水が破損することもない。(月の光は)ひろく大きな光であるが、一尺の水にも一寸の水にも宿り、月の全体も天(そら)全体も、草の露にも宿り、一滴の水にも宿る。(人がさとりを得るといっても、その)さとりが人を破損する(前と違ったものにする)のでないことは、月が(水に宿っても)水に穴をあけないようなものである。人(ただ人であればいい)が(出来・不出来、貴賤男女によって)さとりの罣礙(さしさわり)にならないことは、一滴の水も、(水であれば)天月うつすのに何の罣礙(さしさわり)もないようなものである。(自己を知ることが)深いということは、それだけ高い(法の)分量(めもり)であるにちがいない。(さとりの)時節が、いつであるかは、水そのものに大きい水と小さい水があるかどうか撿点(しらべあ)げ、天月に広い狭いがあるかどうか、修行の上からわきまえなさい。

自主的解釈
 さて、この 段では第七段と同じく水と月の喩が用いられる。しかし用い方は全くの反対とも言える内容で、このような部分も『正法眼蔵』の解釈を難解としている。
 第七段では、自己と萬法を月と水に喩えて、「一方を證するときは一方はくらし。」と説いて、法の一法際断なるをことを示された。すなわち分別を主体とする修行の心得とも言える。二物対峙を破するために、分別を用いて分別を戒めるのである。
 対して第十一段では、一法際断たる萬法から、自己と萬法のどちらにも差しさわりがないことを説き、ともに證上の自己、證上の萬法である等しさ、またその融通無碍なる様相そのものに言及している。
 学人に示すならば、同じく水に映る月の景色を事細かに論じる事象の世界と、その景色事体をそのまま会取する事実の世界を示したものとも言えよう。
 このようなると、事象を解釈するもあり、解釈せぬもあり、どちらも世に存在する真実以外にはなし、という證上の修に似た状況となる。 
 ここから更に、悟迹を忘ずることを求めるのが、道元禅師の真骨頂なのである。
 『啓迪』でも『御抄』をひきながら、第七段との相違を示している。
 全月彌天とは、全月全天であり、それらが好嫌も差しさわりもなく、大小どのような水にでも映りながら、双方を否定しない融通無礙たるを重ねて述べている。
 ここまでは比較的解釈もし易い。しかし次の文言からは多少趣が異なり、細部を検めることとなる。勿論、前文に引き続いての文章であるから、水に月の映る様相を、道元禅師がどのように見られているか、という内容とも言える。
「ふかきことは、たかき分量なるべし。」
 分量を修行の力量と見るならば、打ち込む姿が深さ、その獲得した境涯や尊さを高さとみることも可能であろう。また分別がある状態時には深さがあれば、高さもあることを示しているとも言える。
 また「時節の長短」とは、修行の長短とも解釈できる。後の文言からもわかることであるが、この長短にも分別からの長・短と、証上からの長短の解釈もあり得る。
 分別からは修行した力量こそが、修行者の人間力そのものとなるを示し、証上からならば自己と修行が一体であれば、時間も一体無礙であり、修行者の心構えや質の違いによって感じられる長短があるのみを示す、とも解釈出来る。
 であるからこそ、「時節の長短は、大水小水を撿點し、天月の廣狭を辨取すべし。」と記し、水の大小や月の浮かぶ月の廣狭に関わらず、互いを損なわない事実と同時に、大なる水には大の月、小さき水には小の月が映る別あるも、互いを遮らない事象と共に有るを示すのであろう。
 まさに「辨取」と言えよう。先に解説したように、水に映る月を論ずれば辨であり、そのままに受け取るならば取である。事象を示すか事実を示すかの相違はあれども、同じく真実中のことであるから「辨取すべし。」となる。
正安寺入口【総受処(そううけしょ)】の案内
控室等の各部屋にも室名が掲げられている【定号(じょうごう)】の間
法堂(はっとう)の西序(せいじょ)に安置されている【経蔵(きょうぞう)】、取っ手を付し回せることから【輪蔵(りんぞう)】とも称される