講座(4)『修証義』の教え㊶

仏の教え

 〇利行(りぎょう)というは貴賎の衆生に於きて利益の善功を廻(めぐ)らすなり、窮亀(きゅうき)を見病雀(びょうじゃく)を見しとき、彼が報謝を求めず、唯(ただ)単(ひと)えに利行に催おさるるなり、愚人謂(おも)わくは利他を先とせば自からが利省(はぶか)れぬべしと、爾(しか)には非ざるなり、利行は一法なり、普(あまね)く自他を利するなり。


【本文解説】
 人は誰しもが、それぞれ生きてきた人生の中で培ってきた判断基準をもっています。己が考えに中心を据えることは大層重要なことではありますが、反面そこに拘りすぎるあまりに己が心の視野を狭め、本質を見逃してしまうこともあります。
 まれに人は己の判断基準のみに従い、善悪や損得ばかりでなく、尊いとか尊くないだとか、極端から極端に走りがちでもあります。
 「職業に貴賎無し」といわれるように本来、どのような職種や立場、環境であっても己が考え方のみにて、人を区別しむやみに尊んだり、見下してみたりすることは、正しい道理からは外れた行為となります。
 たとえ他人が、人をして様々に区別を強いろうとしようとも、自らは分け隔てることなく、全てに対して精神的な安心立命の利益が巡るよう精進することを「利行」(りぎょう)というのです。
 困っている亀や、傷ついた雀を助けた昔話も伝わっていますが、決してお礼を期待してのお話ではなく、ただ助けずにはいられなかった心が重要なのです。まれには、結果として大きな果報を得ることもあるかもしれませんが、それはその人の心が、今目前の一大事を見過ごせなかった結果であり、結果を先に期待しての行為のお話ではありません。
 道理に暗い人達は、目前の一大事に己が力を分けてしまえば、己の利益が半減してしまうのでは、などと考え違いをするものですが、利益を巡らせるということは、あらゆるものが繫がり合っているということです。
 「利行」の精神をもって行ずる時には、つながりあっている自身も他人も同じく、利益を得るのです。
         
境内に咲く花々。