講座(4)『修証義』の教え㊹「行持報恩」

仏の教え

 〇此(この)発菩提心(ほつぼだいしん)多くは南閻浮(なんえんぶ)の人身(にんしん)に発心(ほっしん)すべきなり、今是(かく)の如くの因縁あり、願生此娑婆国土(がんしょうししゃばこくど)し来れり、見釈迦牟尼仏(けんしゃかむにぶつ)を喜ばざらんや。

 【用語解説】
 南閻浮(なんえんぶ)=仏教における世界観の一つ、須弥山(しゅみせん)を中心として南洲(なんしゅう)にありとされた人類の世界。


 【本文解説】
 いよいよ本文はここから「修証義」の総括ともいえる、最終、第五章「行持報恩」(ぎょうじほうおん)に移ります。
 「初心忘るべからず」
 どのような環境や立場であれ、その道を究(きわ)めた先人たちが必ず、自らの戒(いまし)めとして口にする言葉です。
 はじめの志がどんなに立派であったとしても、長い年月その環境に浸(ひた)ってしまうと、その道を究めるべき仲間同士であっても、馴れ合いが生じてくるものです。
 であるからこそ、人生の節目に節目においては、己がどういう志で、どのような目標をもってその道に臨(のぞ)んだのか、見つめ直す必要があります。
 私たちは互いに様々な縁(えにし)に導かれ、はかり知ることなど出来ない確率で、この世に生を受けました。それは決して他人任せということではなく、己自身がその中核となって、この世界に生まれたいという厚い志によって実現されたものとも、仏教では解釈いたします。
 たとえその記憶がなくとも、この世に生を受け、正しい教えを学び、人類や社会をより良き方向へ導きたいと願い、志した人間の道理を忘れるべきではない、としています。
 そして実際に、学ぶべきお釈迦様が説かれた理(ことわり)にも出会うことが出来たのですから、流言雑言等の枝葉に惑わされることなく、仏教徒として人間の根幹を目指さなくてはならないでしょう。
中国禅宗初祖、菩提達磨大和尚(ぼだいたるまだいおしょう)。
曹洞宗寺院で尊重され祀られる尊格である。伽藍神の1つ大権修利菩薩(だいけんしゅりぼさつ)。