『正法眼蔵』「現成公案」巻の考察⑧

仏の教え

第十段
本文
 人、舟にのりてゆくに、目をめぐらしてきしをみれば、きしのうつるとあやまる、めをしたしくふねにつくれば、ふねのすすむをしるがごとく、身心を亂想して萬法を辨肯するには、自心自性は常住なるかとあやまる。もし行李をしたしくして箇裏に歸すれば、萬法の、われにあらぬ道理あきらけし。
 たきぎは、はいとなる、さらにかへりてたきぎとなるべきにあらず。しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。しるべし、薪は薪の法位に住して、さきあり、のちあり、前後ありといへども、前後際断せり。灰は灰の法位にありて、後あり先あり。かの薪、はいとなりぬるのち、さらに薪とならざるがごとく、人のしぬるのち、さらに生とならず。しかあるを、生の、死になるといはざるは、佛法のさだまれるならひなり、このゆゑに不生といふ。死の、生にならざる、法輪のさだまれる仏轉なり、このゆゑに不滅といふ。生も一時のくらゐなり、死も一時のくらゐなり。たとへば、冬と春とのごとし。冬の春となるとおもはず、春の夏となるといはぬなり。

語注
・乱想...散乱した心の想い。一切の煩悩をいう。

・弁肯...弁道に同じ。肎は肯の古字。わきまえうけがうこと。理解すること。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四上〉

・辦道...成辦道業...成就辨白仏道成業

・自心...①自分の心。②自分の考え。③無量寿仏に対する信仰。〈『愚禿鈔』下〉④菩提心をいう。→菩提心〈『大日経』大 一八巻一下〉

・自性...①それ自体の定まった本質。ものをしてそのものたらしめるゆえんのもの。ものそれ自体の本性。固有の性質。存在の固有的な実体。真実不変なる本性。そのもの。本体。本性。理。真性。自己存在性。②それ自体としては。③副詞として、さながらに。④独立の単位。「自性一」は、独立存在としての一という数の意。〈『五教章』中 二ノ三〇ウ〉⑤それ自身(にもとづいて論証さるべき事がら)。〈『瑜伽論』因明〉⑥われわれが本来具有する真実の性。〈『妻鏡』〉⑦真如法性。仏の真身〈『沙石集』二(五)〉⑧禅門では、すべての人が生まれながらにしてもっている仏性の意に用いる。自心・心性・仏性。〈『楞伽師資記』〉⑨自性身の略。自己の本性。大日如来の法身自身。四種法身の第一。〈『真言内証』〉他⑩因明において、体・前・陳・有法・所別に相当する。差別に対する。〈『因明大疏』国訳三二〉⑪サーンキヤ学派における根本質料因。根本原理。

・常住...①いつまでもとどまっていること。永久に存在すること。常に住して不変なること。永遠不変。事物が生滅変化しないこと。無常の対。②真理が永遠であること。ありとあらゆるものの理法が永久に定まっていること。この意味の常住ならば、仏教で積極的に承認している。③常住なる霊魂〈『那先経』〉④寺院所属の所有物。または寺の台所。〈『正法眼蔵』行持 大 八二巻一二九下〉

・行李...①次項(行履)に同じ。躬行実践の意。日常の起居動作・行い・生活一般をいう。日常の行為の一切。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四上〉②こうり。修行者が袈裟などの修行用具を入れて歩く編み箱。

・行履...禅僧の日常一切の起居動作をいう。行ない。行は躬行。履は履践の意。〈『碧巌録』一則〉他

・箇裏...このうち。ここ。こちら。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四〉

・道理...①みちすじ。事がらのみちすじ。あらゆる事物が存在し、変化していくにあたって必ず依準されるきまり、法則をいう。ことわり。正しい理論。生滅変化する一切万有をつらぬいている法則。観待・作用・誡成・法爾の四つの道理が説かれる。②次第。わけ。「由此道理」③歴史的変遷の展開過程。あらゆる国々に通ずる普遍的理法をいうのではない。〈『愚管抄』〉

・法位...①法の必然性。法性・真如のこと。もののくらい。不変の理法は現象的事物の確立する位であるから、このようにいう。〈『法華経』一巻大 九巻九中〉他②僧位をさしていう。

・住......①とどまる。②住すること。〈『中論』七・三五〉他③住むこと。④存在すること。⑤安住すること。⑥なんらかの対象にとどこおること。執着すること。たとえば「四識住」などのように用いられる。「応無所住而生其心」〈『金剛経』〉⑦執着、迷執のこと。〈『景徳伝燈録』二五巻 大 五一巻四〇九中〉⑧持続。〈『往生要集』大 八四巻六一中〉⑨いのちの続くこと。⑩母胎にとどまること。⑪(宇宙が)存続すること。⑫四有為相または三有為相の一つ。存続せしめる原理。〈『倶舎論』五巻一二オ〉他⑬蓋に同じ。⑭住法ともいう。小乗の種性の一つ。〈『五教章』下 一ノ一八オ〉⑮常住に同じ。〈『正理門論』〉⑯禅籍では、動詞と結びついて、その意味をいっそう強めるはたらきをする。「把住」「摛住」「スウ住」。〈『碧巌録』一則〉他

・際......①至極。究極。「成二縁起一際」〈『五教章』中 二ノ四六ウ〉②端のこと。〈『中論』二五・二〇〉

・断......①悪を断ずること。断惑。②滅せされる。〈『百五十讃』四四頌〉他③(存在や連続が)断たれること。

・不生...①生じない。〈『中論』〉他②生じたのではない。〈『般若心経』大 八巻八四八下〉他③生ずるというはたらきがない。〈『中論』序偈〉他④何ものも生じないこと。「一生不生、即是仏」〈『五教章』下 二二ウ〉「一生不生、即至仏」〈『五教章』下 一七ウ〉「一心不生」〈『信心銘』大 四八巻三七下〉⑤説一切有部で、阿羅漢の最後の心。そこでは心のはたらき(心所)が滅びている。〈『倶舎論』一〇巻一七オ〉⑥不は否定の意味ではなく、絶対の意。全体が生であること。〈『正法眼蔵』現成公案 大 八二巻二四上〉⑦誤った非難の一種。ニヤーヤ学派でいう不生相似に相当する。〈『方便心論』五七一〉⑧通常、不生不滅と熟す。本来はものの存在が認識を超えている、つまり空であることを表す概念だったが、自由自在な絶対的主体性を意味するようになった。不生の仏心でいることが、盤珪禅の根本的主張である。〈『盤珪語録』〉

・法輪...①輪はインド古代の武器。仏の教えが他に転じて伝わるのを輪にたとえたもの。真理の輪。真実の教え。仏および仏教の象徴。②智慧の境地。法性。本当の真理。〈『理趣経』大 八巻七八五中〉③教え。「法輪断滅」(教えを破壊すること。)「謗於我法輪」④正法輪身(三輪身の一つ)の略。→正法輪身〈『仁王般若陀羅尼念誦儀規』大 一九巻五一四上〉

・不滅...①滅したのではない。滅びない。消えない。すべての存在するものは根源的には空で、生ずることも滅することもない、という意。〈『般若心経』大 八巻八四八下〉他②滅するはたらきを離れた。〈『中論』序偈〉③消えないもの。〈『中論』一〇・五〉④絶対の滅。全体滅ばかりで、生に対するものがないこと。〈『正法眼蔵』現成公案 大八二巻二四上〉

・位(くらい)......①身分。地位。→い②正位。さとりの境地。〈『碧巌録』二五則〉

・位(い)......①くらい。状態。②階級。階梯。〈『五教章』下 二ノ二オ〉③身分。地位。〈『参同契』④種類。項目。事項。〈『洞山五位顕訣』〉⑤正位。さとりのまっただなか。→位⑥分位に同じ。→分位〈『倶舎論』九巻一二オ〉⑦王位。「受位」

現代語訳
 人(誰でもいい、人)が、舟に乗って水上を行くとき、目を岸(陸上)の景色につけてめぐらしてゆくと、岸が移動すると錯覚する。目を(外の景色にとらわれず)自分の舟そのものにつけて見ると、舟が水上を進んでいることがわかるように、自己の身心のあり方を正しく捉えないで、外にある万法(万物)について自分で判断を下していると、自心自性(自己が生きていること)は常住(一定不変)であるかと間違える。もし、行李(自己の生きている事実)をしっかり見つめて、真実のあり方の中に置いてみれば、万法(外にあると思っている万物)が一定のものではないという道理が明瞭になる。
 たき木は(燃えて)灰になる、その灰がもう一度たき木になるはずはない。そうであるのに、灰は薪の後の姿であり、灰の前身は薪であると見取(み)てはならない。よく理解しなさい、薪は薪のあるべきあり方にあって、その前(樹木であった時)もあり、その後(灰になること)もある。前も後もあるのだが、前も後もまったく別の存在としてあるのである。灰になった時の灰は灰の法位に(その時のあり方)としてあり、その後のあり方もあれば、その前のあり方もある。(しかし、)その薪が灰となってしまった後に、もう一度薪になることはないように、人が死んだ後は、それがもう一度生になることはない。こういうことであるので、生が死になると言わないのは、仏法が常に言いならわしてきたところである。だから、この生は(死に対立した生ではないから)不生という。死が生にならないというのは法の真実として、いつに変わらず仏の説くところである。だから(生に対する滅ではないから)不滅という。生も一時(その時)の位(あり方)であり、死も一時(その時)の位(あり方)である。具体的に言うならば、冬と春とのようなものである。冬が春になるとは(仏法では)思わないのであり、春が夏になるとは(仏法では)言わないのである。

本文の出典元
・たき木:如三木成レ灰、不二重為一レ木。諸仏如来、菩提涅槃、亦復如是。(『楞厳経』四)
・法位に住して:是法住法位、世間相常住。(『法華経』方便品)

自主的解釈
 ここでも『啓迪』の解釈は綿密である。まず「この段は外道凡夫の常一主宰の見を破して、諸法無我の道理を示される。」と示し、更に仏教が説かれる際、多く譬喩が用いられるが、その譬喩が内容全体を示し切ることはまずなく、およそ分喩であると見込んで解釈するよう勧めてもいる。
 全機の巻にも「人と舟」の譬えが出てくるが、『啓迪』ではこの喩えを結ぶ「萬法のわれにあらぬ道理あきらけし。」の御文をもって、諸法無我の道理とするのであろう。
 しかしながら、喩えの入口となる「人舟にのりてゆくに」から捉えたならば、諸法無我ではなく、諸行無常を示すとする方が、学人には理解し易い。ただし諸行無常から始まった御文が、諸法無我に帰結されていることも事実である。
 同じ萬法の様相を時間として示すか、存在として示すかの相違であり、その本質に常見を求むることを戒めた御文、とするのが理解され易いと思われる。
 ただ自己を他に乗せて移動させる、というより複雑な状況を提示しながらも、見た自己である主体と見えた客体、どちらが主である、または常である、または両方が無常であって、別に常住するものが有る、等という常見を破しているのである。
 続いて薪と灰の喩えを引いて、諸法無我たる存在が諸行無常を表する時、前後の違いを設けることを戒める。これを仏教では前後際断といい、以一貫之が如くの修証の様相を示す場合等に用いる。 
 ここを示し理解する場合には、一法究盡、融通無礙の表詮であることを念頭に置かねばならない。先に常見を破しているのだから、ここでは断見も破している前提で解釈すべきであろう。
 しかし法の前後際断を示した場合、どうしても断見に固執して、一法究盡の妨げになる場合も多い。そこで、薪灰の喩えと時間の前後をもって、人の生死と修行の初後心に引き寄せて、説き重ねるのである。
 薪と灰は人間の生死、前後というは前念と後念、または初心と後心ともいえる。
 生は死が、死は生が無ければ存在せず、しかも生の時には生のみ、死の時には死のみを謳歌するのみの法、一法究盡そのものでもある。
 ここで理解は留まらない。しかも一法究盡の上で現れる前後、断常に関しては自在に活用し尽くすことを示すのである。
 初学の人に「初発心時便成正覺」等と示すは、教導とは言えないであろう。
 初学の者には初学の「入処」がなければならず、修行の目安、すなわち前後も必要である。
 ただしこの目安を実物と捉えてしまうと常見に陥るもととなる。修行といっても学人それぞれ、一様であるわけがなく、目安はあくまで目安であって、確定した実体があるわけではない。
 また「証仏」、すなわち「佛を證しもてゆく」境涯も初学の人には必須であろう。ここが発心の基となること多き所以である。
 さて、ここの本文からは、教相的文言の片鱗さえ見出せないが、内容的には教家が重きを置く修行の過程を、どのように捉えるかという一大眼目、更に喩えの内容も『楞厳経』を出典とするのであるが、中国天台教学が直結せしめたる龍樹菩薩の『中論』は蝋燭の火の喩えにも通じる感もある。
 ここでは道元禅師ご自身が大いに参究された、始覺・本覺の要素も含まれるので、より丁寧に重ね述べるのであろう。
 ちなみに、天台智者大師智顗の著述『摩訶止観』では、ここと同様の内容を随の時代に「六即に約して是を顕せば、初心を是とせんや、後心を是とせんや。答う。『論』の焦炷のごとく、初めにあらずして初めを離れず、後にあらずして後を離れざるなり。もし智と信と具足して、一念すなわち是なりと聞けば、信のゆえに謗らず、智のゆえに懼れず、初めも後もみな是なり。もし信なければ高く聖境を推して己の智分にあらずとし、もし智なければ増上慢を起して己は仏と均しとおもう、初めも後もともに非なり。このことのためのゆえに、すべからく六即を知るべし。いわく理即・名字即・観行即・相似即・分真即・究竟即なり。この六即は凡に始まり聖に終る。凡に始まるゆえに疑怯を除き、聖に終るゆえに慢大を除く。云々。(以下略)」と記している。
 道元禅師の闊達で融通無碍の示し方とは異なるが、一応は教相学の範疇にて修と証、初心と後心について論理的に破綻することなく確立せしめている。
浅間山の裾野に位置する佐久平、裾野の東側には「軽井沢」や「鬼押出し園」を有する
正安寺で主となる法要堂場「法堂(はっとう)」
法堂の西序室中に祀られた「経蔵(きょうぞう)」