【修正会(しゅしようえ)】R8/1/10日にて、住職が思慮するところ

行事

 正安寺の恒規行持(ごうきぎょうじ)である修正会が、例年の如く無事に勤めることが出来ました。
 新年の1日、2日の檀信徒皆様方の来山ご挨拶に合わせた、山主年賀相見式にはじまり、恒規行持までにも昨年暮れにご逝去された故人を正安寺にて御安置させていただき、お通夜、葬儀式とお勤めもいただきました。
 正安寺にてお薦めさせている通り、年を跨ぐ儀式でもあったため、山主相見式の際にも故人のご遺体を丁重に安置、喪主家の方々もお年とりの間にもかかわらず、御通夜式まで毎日通われながら、訪問客のお見舞に対応されていました。
 ご存知の無い方々おられる様なので、公開を原則としている正安寺であるからこそ、敢えてご説明致しますが、故人がご逝去された場合、多くが病院施設ということになりますが、まず搬送車の手配からはじまります。
 そして大抵、この搬送を担当した業者が葬送の儀式を案内する葬祭業者となります。この時点では突然ということもあり、故人のご遺体をご自宅、または葬祭場や菩提寺等、どちらに安置されるかさえ、定まっていない家庭もございます。
 そして要注意点は、葬祭場にご遺体を安置された場合には、その日以降儀式の終了までの間の日数分、安置料の項目が増え続けることです。例えば葬儀式までの間に、たまたま友引が挟まったり、火葬場の予定を確認したらうまっていたりと、予期せぬ日数が必要になることも以外と多く、喪主家の計算以上の出費を余儀なくされることも生じてきます。
 正安寺では、これら諸々のことも知っているからこそ、より思わぬ出費を捻出することなく、確認して決まった費用内で菩提寺にて、厳かにしかも記憶に残る儀式が勤められるよう、配慮し選択肢の1つとして「寺院葬」を設け、お薦めしております。
 ちなみに、正安寺に故人のご遺体を安置されてから、お告げ(おつげ 喪主家と寺院との打ち合わせ)にて進行の打ち合わせをしたところ、中5日間も日程を要する場合もございましたが、正安寺ではご遺体の安置料は頂戴いたしませんので、喪主家の出費は通常の「お布施」並びに、正安寺にて選定している寺院葬専門業者が、喪主家に代わり一括して用意された諸々の「代行費用」の2ヶ所のみでした。
 希ではございますが、正安寺にお告げに来山される際に、「葬祭場がもう決まっており、そちらの出費が多そうなので正安寺のお布施を減らしてほしい」等のご相談をいただくこともあります。その際には正安寺では寺院葬をお薦めしており、仮に正安寺にて葬儀式を勤めたならば、それだけて一般葬祭場の会館使用料なる建物建築維持管理費を頂戴しない分、およそ30~40万円程度出費が減ること、また打ち合わせ中にご本人の眼前に用意された正安寺の見積もり書を丁寧に説明しながら、どの部分をどの程度考慮されているか、御戒名や伴僧の人数、一般葬や一日葬に変更すればどのようになるのか、はっきりと数字で明示できるので、喪主家ご本人にじっくり検討し、選択して決定していただくことが可能となっております。
 一頃、正安寺が「お布施」をホームページ上とはいえ、公開し更にご本人で御見積りまで可能なシステムを立ち上げた際には、頑なに「お布施に決まりはない」等と誇張する寺院との打ち合わせに、喪主家がどれほど必要以上な気遣いを要するかも知らず、限られた時間内で、様々な内容を決しなければならない故人のご逝去という一大事の中、寺院との打ち合わせにて「お布施」のみを決定するだけで5時間を要したという家庭もございます。「決まりがない」と決めつけているものに「数字としての金額」を定めるのですから、はじめから論理破綻しているにも関わらず、現場を知らぬ学者然たる者に限って「お布施はお釈迦様の時代の糞掃衣を造る際の布きれが・・・」等と、本来の意味だとか理屈では、そもそも葬儀式自体が進行出来ないにも関わらず、喪主家の現実よりも自身が得意となっている知識を優先させたがる、一部の既得権益者、既存のままの体制の方が都合が良い勢力等から、随分と参考意見たる批判を頂戴したりもしました。
 それから、これだけの年数が費やされても当正安寺のように、ホームページ上なり檀信徒への寺便り等に、住職が維持管理している寺院の「お布施」の目安さえ表示された聞きませんので、それほど難しく固い暗黙の誓約があるのでしょう。
 私自身、各会社が自由競争の中で切磋琢磨しながら生存していること同様、各寺院住職が己の思考と判断の下に、責任をもって運営されているならば、何ら問題ないという立場です。ですから「お布施」を公開しない寺院に対して特別の悪感情を持っていることもありません。
 公開したから良い、悪いではなく、檀信徒の拠り所たるべき寺院施設が、いかに厳かに維持管理され、長く歴史に残されるよう工夫や精進がなされたか、その差配こそが住職の最も大事な任務の一つであり、他寺院の運営に口出ししたり、勝手な解説や説教をされる以前に、自身の管理運営している寺院または菩提寺が、今後も存続でき得る工夫や努力をしているかを、自戒すべきが先であろうと思惟するのです。
 現在、毎年700ヶ寺が廃寺となり、一部は外資系会社の所有にもなっているとも聞かれます。公立の学校でさえ一年間に300校が閉校となっている、
 このような現実を直視するならば、その現実にそった手立てを思慮し工夫を重ねることは当然です。
 まず現実を知ろうとせず、勿論何ら思慮を重ねたり工夫や手立てを考えるわけでもなく、単に頭に詰め込んだ歴史一時の文字面の意味のみを滔々と弁じるを、優秀な住職とするならば、私自身がそのような寺院を拠り所として信頼を保つことは出来ないと判じるからです。
新年1日・2日の山主相見式会場
「修正会」にて参集され組寺の和尚様方とともに、檀信徒各家のご先祖様方に祈願された総代会や仏教婦人会三役の方々