社会の中の【仏教用語】他⑪以心伝心(いしんでんしん)

社会の中の【仏教用語】他

 【以心伝心】(いしんでんしん)も勿論もともとは仏教語であり、華厳宗五祖圭峰宗密が禅教一致の立場から収集著述されたとする『禅源諸詮集都序ぜんげんしょせんしゅうとじょ』を出典とする影響か、禅宗系統寺院の掛け軸や衝立、文言の多くに使用されることが多い。
 「心を以って心に伝う」という文言は、まさしく真実の有り様は言説のみでは説明し尽くせないとする、禅宗の標榜するところを述べてもいる。
 その意味を禅の立場から端的に示された文言が、やはり仏教語として残されている【不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏】(ふりゅうもんじ、きょうげべつでん、じきしにんしん、けんしょうじょうぶつ)であり、出典は『祖庭事苑』からと言われる。
 『祖庭事苑』は宋の睦庵善卿が「雲門録」を含む、禅宗系書籍中から熟語2400余を収集した、所謂辞典のごとき書物であり、年代からの推測では、広義としての「以心伝心」が先に有り、後の時代により禅的内容に集約されたとも解釈できる。
 いずれにしても出典は禅宗系書物と言える。不立文字は文字を立てず、即ち文字面にとらわれないよう注意を促し、教外別伝は言説や経典中の文字の他にも、別に伝えられるべきものが有るを示し、直指人心とは、直接人の心に働きかけ探り出す例えとして、見性成仏とは、それぞれ各人の心中に仏と成れるべき本性質を見出すことの大事を説いている。
 つまりこれらは禅宗とは、と訊ねられた際に端的にその特徴を標榜し表すことが出来る文言として、使用されるべくして練られ作成されたともいえる。
 禅、とくに黙照禅とも称される曹洞宗の「只管打坐(しかんたざ)」の立場からは、行の中にこそ実際と真実が具わるとし、あくまで個々に対する事象や名称は仮名(けみょう)として、仮名にて記されまた解説されたものを、そのまま鵜呑みにするならば、それは仮のままであり、真実の様相には一向に近づけないとする。
 正安寺の広間に掛かる双幅の掛け軸にも、「不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏」の語がある。
 これは、当正安寺十六世大梅法撰の弟子でもあり、荻生徂徠とともに当時の幕閣柳沢吉保に仕えた細井光沢の書である。
 細井光沢は文武双方に優れ、赤穂浪士の堀部安兵衛とは剣術、堀内道場の同門としても親交深く、討ち入り口述書の添削、また『堀部安兵衛日記』の編纂を託されたともいわれている。
細井光沢1658-1736)の書【不立文字 教外別伝 直指人心 見性成仏】。中央の【聴松(ちょうしょう)】の大幅は、曹洞宗大本山永平寺七十六世、故秦慧玉禅師(1896-1985)御染筆のものである。