講座(4)『修証義』の教え⑦

仏の教え

 人はともすると、人生の意味にばかり眼を奪われ、その思考に限界を感じたときには、自己の都合や現状に合わせて、手前勝手な生き方を選択しがちでもありますが、仏教徒は人生の有り様を広範囲から認識して、たとえつらく悲しい時でも、自分自身を見失わない心構えを、養うべく備えるのです。
 何かの為に生きるのでは無く、あくまで自身が、どういう生き方をしたいのか、仏の教えは私達自身の生きる姿勢を再確認させるべく、問いただしているのです。
 このような教えを活かし頂いて、実践していけるならば、人生に対して楽しみ、または苦しみのみ等という固定観念では無く、苦楽の混在し悲喜交々する場所たることを知り、むやみに他とくらべて己のみの幸福を願ったり、他の幸福をねたんだりするおごりや執着、嫉妬心を落ち着かせることが出来るでしょう。
 「但生死即ち涅槃と心得て云々」とは、先ず人の生死についての見解を示したので、さらに悩み苦しむ現世、人間世界と、それらを離れた来世、仏の世界に対しても同様であると、説かれるのです。
 私達はこの世を離れたところにこそ、仏の世界が存在すると思っていますが、それは前述の人生において、苦しみだけを嫌い、楽しみのみを求めていることと変わりません。苦楽共に混在した姿が人生であるように、この世(人間世界)とあの世(仏の世界)も混在しているのであり、言いかえれば、この世の中を離れて仏の世界はあり得ないことを示すのです。  次号につづく