講座(2) 葬儀式の内容 ⑨「お経の内容7」

仏の教え

 3、遠離(おんり)
 遠離とは、けたたましく騒がしい場所を離れることをいいます。経文には「静処に居すべし」(じょうしょにきょすべし)という文言もあります。能力にも秀で、すばらしい人物であっても、あまりに大勢集まると、責任感がなくなったり、何かしら不届きなことが起こったりするものです。
 ちょうど、どんなに丈夫そうな枝であっても、一度にたくさんの鳥たちが集まれば、折れてしまう危険があるように、常に人の寄り集まりや、大勢が参加する場を好む場合には、それなりの悩みや危険性もともなうことを覚悟しなければなりません。

 4、精進(しょうじん)
 精進とは道理にかなった努力や勇気のことをいいます。この努力を悪しきことに用いないためにも勇気が必要となります。悪しき努力や道理から外れた努力は精進とは呼べません。
 屋根から落ちる雨粒であっても続けることにより、ついには石をも穿つ(うがつ)ように、たとえ他の目にとまらない小事であっても、本人の意思と、道理にかなった努力であるならば、一歩一歩でも、地道に修することが大切です。

 5、不忘念(ふもうねん)
 「初心忘るべからず」という言葉もあるように、己の確かな意思表明を常に保つことは大切です。人は思い通り順調に行きすぎても、反対に大きな挫折をしても、元来の理念を忘れて横道にそれていきがちでもあります。ですから、仏教徒としての根幹である、道理に適った仏の教えや、戒めを守り勤めようとした正念(しょうねん)を思い起こし、繰り返し忘れないよう心がけねばなりません。

 6、禅定(ぜんじょう)
 禅定とは心の乱れを整えることです。様々な煩わしい思いが起こっても、それらに引きずられず、自然体で受け流すことが大切です。人は生きている限り、様々な思いが想起されては迷うものですが、それに対して必要以上に執着すると、更に深い悩みへと浸入して、解決策があるにも関わらず、他のものが見えにくくなってしまいます。
 普段から自分自身を見つめ直す時間を、たとえわずかでも設けたいものです。そして頭に浮かぶ煩悩、迷いにことさら執着することなく、それらを自然体で受け流しながら、想起したものもやがて滅するを繰り返す道理(ことわり)の中にあるを、己に体得させる訓練が必要とされるのです。
 
法堂の人天蓋(にんてんがい)。
同じく法堂の幢幡(どうばん)。