講座(4)『修証義』の教え㉔

仏の教え

 前号からのつづき
 【本文解説】
 たとえ仮にこの世の中で、己の納得出来る仏教の理解と実践が出来なかったとしても、さらにいつしか、また仏の教えに出会い、学びきれなかったところを学び、実践していきたい、と願うのが仏教徒の心情でもあります。
 実際、遠く西国よりインド、中国、朝鮮半島等を経由して、この日本国に仏の教えが伝えられたのも、現在の私達の力ばかりではなく、多くのご先祖様や歴代の祖師方が、だだひたすらに、この三つの宝を心の拠り所とすべく、敬い伝えて来たからに他なりません。
 私達人間は、その時の立場や感情に左右されやすく、また己を中心として物事を理解する方法を、当然視する傾向もうかがえます。その場の己が理解できる事、納得出来る事、得ににりそうな内容となれば、一生懸命に励みますが、半面、現在の自身では理解できないこと、得になりそうにない事に関しては、勉強不足等は棚上げして、おろそかにしがちでもあります。
 しかし現在の自分が理解出来なくとも、実践できなくとも、確実な利益が計れなくとも、将来の自分自身や、日本国の後孫の人々が学び、気づき、人心に役立てる人格者を育成出来る可能性を秘めているのであるならば、決して粗末に扱うべきではありません。
 仏教徒にとっては、それこそが仏と法、教えと僧、守り伝えていく仲間達の三宝(さんぼう)であることを説かれるのです。
       
前回同様、「修正会」にて披露された正安寺什物の一部。