寺院は一般的に数百年、あるいは千数百年の長い歴史とともに存続してまいりました。その時代の社会情勢や政権等の制約、変遷にも勿論大きな影響を受けながらも対応して今日に至っております。一般の方々が多く思い描く寺院に対する印象を精査すると凡そ江戸時代は幕藩体制下の寺院の姿と重なります。曰く、お寺様は敷居が高い、地域を治めるところ、地域に開かれた公的な印象、何でも相談また教えてくれるところ、いざというときに避難できる場所、貴重な物品が在るところ等々。
これらの印象の基にあるのは統治国家を目指す江戸幕藩体制下、寺社奉行を配置して、神社仏閣等を一元的に幕府の管理下に直結させようとした施策の賜物ともいわれており、江戸時代が近年まで長く続いた為、その頃の風習や心情、宗教観が日本人に強く影響を及ぼしていると思われます。
当時の幕府は地域の安定と中央集権を目指すべく、地域の実情を廣く理解している寺院等、宗教をも介して国の直轄下に置こうとしました。実際その為寺社奉行職を設け各寺院の維持管理等に予算を計上し、対して住職には寺院における半ば公的な職務の遂行を命じたものと思われ、現在の国家公務員や地方公務員の姿と重なります。故に当時の住職は檀信徒に対して寺院の維持管理等にかかる経費等を要請する必要が無く、幕府の庇護下において読み書き等の学問を教えた寺小屋、長い歴史に蓄積された宝物等を定期開示する美術館や博物館、地域の困窮要請に応じた国との折衝及び対応の社会保険、民生、保護、緊急避難所等の役割、制度を通じて地域の安定に寄与することが主目的とされる印象が強くなったと考えられます。
しかし明治維新を境として各寺院の実情は国民の印象と乖離し、その隔たりは年を追うごとに大きくなってまいりました。
明治維新政府は「富国強兵」を目指すため「太政官布告」たる政令を発布し、それまでの神社仏閣への維持管理に関わる予算を軍備増強に当てます。当然それまでの寺院住職も国家公務員的扱いから実質自営業主となり、この日をもって寺院運営費の全てを住職の采配で集めることとなりました。現在で云う公的機関の民営化の先駆けとも云えます。さらに「富国強兵」の施策を盤石とするため、「国家神道」の精神論を標榜して後の「廃仏毀釈」へとつながります。
また第一次、第二次世界大戦を歴て、民主主義国家へ移行するにあたり旧来の制度や精神論等は弊害とみなされ連合国軍占領下の施策にもよって、神社仏閣の必要以上の所有地の強制返還、所謂上地(あげち)を命ぜられました。当正安寺においても参道としか思えない石造りの段道が現在「市道」となっているのは当時、上地により国へ、平成になり国の施策変更にて各市町村へ権利が移譲した名残でもあります。
さらに各寺院の運営に重大な逼迫を与えたのが戦後の「第一次農地改革法」と「第二次農地改革法」です。幕藩体制下において各寺院が細部については申請無くも修繕できるようにと幕府より朱印地(しゅいんち)、各藩からは黒印地(こくいんち)と称する土地の安堵状を発布され、その土地からの供米等作物が有力な寺院の収入源となっていましたが、その土地が上記施策により寺院の境内地より切り離されることとなりました。
この施策によって、実際に土地を耕していた者に土地の名義が移され所謂大地主の解体となるのですが、寺院によっては地域に懇願され親切心からわざわざ境内地を分割し耕作地として貸し出していたところなどは大きく損害を蒙り、一部の都心の寺院のように敢えて耕作を断った土地が、現在高収入をもたらしている等、別の格差を生み出しました。
正安寺の当時の境内地は凡そ3万坪、現在は5千坪、その差およそ二万五千坪が農地解放により割譲され、貴重な収入源を失いました。ただし山林は寺院の所有と認められましたが、地目は境内地ではなくあくまで山林として課税対象でもあります。戦後しばらくは火力も未だ薪などの木材が主でありましたから、山林は多少なりとも収入の一部になりましたが、数年後には石油が主となり、山林の木々は収益をもたらさなくなりました。
ここに至って特に地方の寺院の運営は逼迫の度を増すこととなります。戦前の正安寺の収入は8割を寺前収入にて賄い、檀信徒からの御布施による収入は2割のみ、文字道理御布施に金員の決まりはなく、各家のお気持ちで、という形式でもありました。
しかし戦後、この8割有った収入が突然のように無と帰します。当時2割であった御布施の収入のみにて全体10割の運営をすることとなり、更に住職の生活費(給与)も幕政下とは異なり自身で収益することとなりました。 この時各寺院によっては年間の入出金記録、設備、維持管理、補修等を精査し、予算と決算を決したと思われます。更に住職によっては先見に踏み込んで、檀信徒のご法事、本葬儀の実情等から、それぞれの儀式における御布施の目安を設けたものとおもわれます。
正安寺では上記等を鑑みながら、当寺院なりの御布施の規約を設けております。これはあくまで正安寺の規模、歴史的経緯、実情から算出されたものであり、他寺院と比較するということは出来ません。
そもそも前述の時代背景や時の施策等もあり、曹洞宗の公表約、一万五千ヶ寺の5割以上、一説には7割が寺院収入のみでは運営出来ない状況にて、それぞれのご住職様方が教職、役場、会社等兼業しながら、自費を転じて辛うじて維持されている場合も多く、大変希のこととは思われますが、各寺院の運営によっては記録等を正確に記さず、明示されることもなく、算出する方法自体がないこともあるようです。
当寺院では毎年の収支決算等を県庁に報告、また年間の諸行事出席者、ご法事、本葬儀等の記録を各お檀家様方にも正安寺便りにて開示しているためここまで算出明示することができますが、このこと自体も非常に希であるかと思われます。
また、「御布施」等の金員を一定の個人紹介を経た後といえども、開示することには賛否両論あろうかと存じます。当寺院でも決してこの方法が正しい、あるいは、こうあるべき等とは思っておりません。それぞれの地域環境にも沿った、御寺院様方の運営方法に勿論優劣があるわけもありませんが、世間一般に「寺院」あるいは「御布施」に関して秘匿印象が強いのか極端な憶測や、理解のし難い高額と思われる御布施の寺院の噂のみが世間に流布される傾向を垣間見るに、それぞれ多くの御寺院様方、ご住職様方が大変なご苦労、配慮をともなって維持運営に努めていることと併せて、先鞭をつけさせていただいた所存でもあります。
また、凡そ十年に一度の割合で収支決算等を精査し、当寺院における「御布施」を決定しております。勿論必ず変更するわけではなく、据え置く場合も御座いますが、変更後には当ホームページ上にも変更後の「御布施」が表示され、その金員にて決済をしていただくこととなります。
御布施の他、御戒名、入檀、入信等の規約から御通夜、お葬式の実際に必要となる御布施の御見積もログインしていただくとご自由に閲覧していただけます。 ご契約いただかないかぎり、金員も一切かかりませんし、正安寺からご連絡が送付されることもありませんので、詳細を確認されたい場合には気兼ねなくログインしていただくことをお勧め致します。